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最高裁判所第一小法廷 平成4年(あ)763号 決定

本籍

群馬県館林市大街道三丁目六七一番地

住居

同所一番八号

税理士

山﨑昭

昭和三年二月二〇日生

右の者に対する法人税法違反被告事件について、平成四年六月一七日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人山田一郎、同大森勇一の上告趣意は、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判所全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 三好達 裁判官 大堀誠一 裁判官 小野幹雄 裁判官 高橋久子 裁判官 遠藤光男)

平成四年(あ)第七六三号

○ 上告趣意書

被告人 山﨑昭

右の者に対する法人税法違反被告事件に関する上告の趣意は次のとおりである。

平成四年一一月三〇日

右被告人弁護人弁護士 山田一郎

同 大森勇一

最高裁判所第一小法廷 御中

原判決には、以下に述べるとおり重大なる事実の誤認があり、破棄されるべきものである。

以下、原判決の判示について検討を加え、原判決が重大なる事実の誤認をなしている理由につき詳細に述べることとする。

第一 原判決の判示認定の根拠に対する概括的検討

原判決は、

一 永島みや(以下、「永島」という。)の検面調書中、永島が昭和六〇年一〇月末ころ及び翌六一年六月上旬、被告人から指示され、株式会社中村電線工業(以下、「中村電線」という。)の昭和六〇年八月期及び翌六一年八月期について、それぞれ架空外注費及び架空仕入れを計上して利益を圧縮した旨供述している部分は十分信用することができるとし、

二 中村元(以下、「中村」という。)の第一審公判廷における供述(以下、「供述」という。)中、

1 中村が昭和六〇年一〇月二八日ころ、被告人に対し、中村電線の同年八月期の法人税の確定申告に関し、申告利益を一〇〇〇万円未満とする虚偽過少の法人税確定申告書の作成依頼をしたところ、被告人がこれを承諾し、所得金額を八九二万円余りとする確定申告書を作成してくれたとする部分

2 中村の供述中、昭和六一年六月、株式会社サーモテック(中村電線の子会社、以下、「サーモテック」という。)に税務調査があった際、被告人の主導により、赤字会社である同社については中村電線に対する架空売上を計上し、黒字会社である中村電線については、これに対応する架空外注費を計上したほか、これとは別個の架空外注費及び架空仕入れをも計上し、同社の同年八月期の利益を圧縮する経理操作をしたうえ、同年一〇月末ころ、欠損金額を八五七万円余りとする確定申告書を作成してくれたとする部分

3 中村の供述中、右に関連する事実として、中村が被告人に対し四回にわたり合計九一〇〇万円又は八七〇〇万円の現金を渡した経緯につき述べる部分について概ね信用することができるとして、

被告人による脱税の共謀の事実を含む事実を優に認定することができるとしている。

三 然しながら、原判決の右認定は、誤りであり、重大なる事実の誤認をなし、被告人を有罪としているものであって、破棄を免れないものである。

原判決は、右認定の根拠として、第一に永島の検面調書につき、その信用性を検討し、永島の供述が十分信用に値するものとしたうえで、次に中村の供述について信用性を検討して、右のとおりの判示をなしている。

しかし、本件にて、考察されなければならないのは、第一に中村の供述の信用性であり、永島の供述の信用性ではない。

1 なぜならば、本件は、当初中村電線の脱税が発覚し、国税当局において取調べがなされていた段階では、被告人は勿論のこと、永島も被疑者として取調べを受けていたわけではない。中村電線の脱税について国税当局より前橋地方検察庁に対し、告発がなされ、同庁検察官が、中村を取調べていく過程において、被告人を中村の共犯者と断定し、逮捕に踏み切り、起訴した事案であるからである。

2 即ち、検察官においては、まず中村の取調べにおいて中村の供述を全面的に信用できるとし、その中村の供述に沿う事実を得んがため、被告人ならびに永島を中村電線の共犯者として逮捕したものであって、当然のことながら、検察官は中村の供述に沿いその取調べを行い、永島より供述を得たものであり、中村の供述なくして永島の供述はないといわねばならず、本件にて徹底的に吟味がなされるべきは第一に中村の供述である。

しかるに、原判決は、第一に永島の供述を前記指摘した部分にて十分に信用できるとし、その補足的な形にて中村の供述を前記指摘した部分にて概ね信用できるとしているものであり、その検討順序を誤っているうえ、徹底的に吟味されるべき中村の供述についても、後に述べるとおり客観的証拠と食い違う部分については、極めて独善的な判断をなしているうえ、次に述べる中村供述に流れる基本的な主張事実に関しては、何ら検討を加えないまま信用するに足りるものとしている重大なる誤りがある。

第二 中村元供述再吟味の必要性について

一 この点について、第一に考えねばならないのは、原判決はその一三丁において「中村は、委細は承知しているが、母中村きみは脱税をするのに被告人の協力を得ていた様子である旨供述し、中村きみの弟今井信昭や中村きみの妹前島律子もこれに沿う供述をしていること(原審第九回公判調書中証人今井信昭及び同前島律子の各供述部分)や、所論指摘の総勘定元帳及び現金出納残高式伝票の記載状況、昭和五九年八月期における所得秘匿の方法等に照らすと、永島や被告人の否定にも拘らず、中村電線の同事業年度(昭和五九年八月期を指す)の脱税についても、被告人による何らかの関与があったのではないかとの疑念が全く生じないわけではない。」として、被告人が本件にて問われている昭和六〇年八月期以降分の脱税のずっと以前より中村きみ(昭和六〇年九月一七日死亡)と共謀して中村電線の脱税に加担していたことを示唆している。

二 そして、その中村きみ生前中から被告人が中村電線の脱税に関与していたとする点については、中村が、昭和六〇年五月サーモテック前橋研究所を独立させ、株式会社日本デジタルシステムとして設立するあたり、被告人よりその資本金二〇〇〇万について、中村電線の裏金から出すよう指示され、かつ、その裏金捻出の隠蔽工作として被告人から中村きみや中村らが右資本金相当額を借用したことにして、借用証書を捏造したとする供述をなしていることも、その示唆の一助となっていることは十分に推測できるところである。

しかし、原判決の指摘する今井信昭や前島律子の供述は、同人らが中村きみや中村の親族であり、被告人に対し、不利益に供述・証言する可能性があるにも拘らず、原判決においては、その点の検討を怠り、信用性を与えていることは、極めて疑問である。すなわち、この点は、原判決及び第一審判決とも永島の供述につき、永島は被告人の妻山﨑キミの妹であって、容易に被告人に不利益な虚偽の供述をするとは考えられない立場の人間であるとしてその供述の信用性を高く評価していることと表裏一体の関係にあるものであって、今井信昭や前島律子も、また、その他中村みどりや中村電線の従業員の供述の信用性を吟味する際には、永島の供述と同じく中村に不利益な供述をなす立場に居る人間ではないことを第一に念頭に置かねばならない筈であり、右の者らが中村の供述と沿う供述をなしていることはその立場上十分推測できるにも拘らず、原判決は勿論第一審判決も右迎合の可能性を全く検討していないことは、弁護人としては極めて強い憤りを感じるとともに、やはり、まず第一に吟味すべきは中村の供述であることを示唆しているといわねばならない。

三 然し、右中村の裏金捻出の隠蔽工作として述べている借用証書の捏造は、株式会社日本デジタルシステムと相前後し設立された株式会社関東電線工業の資本金二〇〇〇万円についても、中村は被告人より中村電線の裏金から捻出するよう指示されたとする供述をなしているにも拘らず、右株式会社関東電線工業の資本金二〇〇〇万円については、何ら裏金捻出の隠蔽工作がなされていないことからして、全くの作文といわなければならず、そもそも被告人が中村きみ生存中から中村電線の脱税に関与していたということはあり得ないことである。

四 中村の供述とおり、株式会社日本デジタルシステム設立に際しての資本金が被告人の指示のもと中村電線の裏金から捻出し、被告人がその隠蔽工作のため、借用証書を捏造したものとするならば、株式会社関東電線工業設立の際にも、中村は被告人より指示され中村電線の裏金を出したというのであるから、同様の隠蔽工作が被告人の関与のもとなされていなければならないところ、右株式会社関東電線工業の場合には、何らの隠蔽工作はなされていないし、かつ、中村も被告人より隠蔽工作につき指示を受けていない旨供述しているのであって、一方については隠蔽工作をなし、他方については隠蔽工作をなさないということは、仮に被告人が中村電線においては以前より脱税をなし、多額の裏金があることを知っており、かつ、右各設立が相前後してなされていることも併せ考え、右裏金から捻出するよう指示したとすれば、極めて片手落ちの処理であり、常識では全く考えられないことといわねばならず、この点において、そもそも中村の供述は語るに落ちたといわねばならない。

五 即ち、第一にこの点については、右両社設立に際しては、被告人は中村に対し中村電線の過去の脱税した裏金から捻出するよう指示したことはなく、かつ、その隠蔽工作として株式会社日本デジタルシステム設立に際して作成したとする借用証書については、被告人が述べるとおり、昭和五九年ころよりサーモテックの前橋営業所所長であった大塚賢一が同人の社内待遇に不満を持ち、被告人や中村に退職の意思を表明していたところから、中村家のことを思い、同人の右意思を翻意させるべく同営業所を別会社として独立させ、同人に会社の責任者としての責任をもたせるとともに待遇の改善を図る必要性を中村に説き、株式会社日本デジタルシステムが設立されたものであるところ、中村より大塚賢一に割当てた株式相当額の出資金について同人より文句などいわれることなく取戻すための方法として、被告人が資本金相当額全額を捻出した体裁をとって欲しい旨依頼された結果、作成されたのが右借用証書であって、株式会社関東電線工業設立の場合には、その責任者となった関口國志郎との間には、右に述べた大塚賢一とのような軋轢が当時なかったからに過ぎないというのが真実である。

六 中村の供述は、前述のように自分が関与する以前から被告人が中村きみとの間に脱税を画策し、中村電線の脱税について過去から主導的役割を果たしていたものであり、本件についてもその主導的役割を果たしていたのは被告人であるとするのが基本的な流れであるから、この点の吟味を十二分に原判決はなさなければならないにも拘らず、何らこの点に検討を加えることなくむしろ判断を避け、独断的に中村の供述を信用するに足るとしていることが、そもそも基本的な誤りであることは言うまでもなく、中村の供述の右点については再度検討をしなければ、本件に対する正当なる評価はできないものと信ずるところである。

この点、次に指摘するとおり、原判決は第一審判決も同様であるが、被告人が中村より合計金八七〇〇万円という多額の現金を渡され、保管していたという事実の存在、すなわち、「初めに金ありき」が中村供述の基本的流れにおける不合理性に目をつぶってしまったといえるのであって、以下、この現金の存在について検討を加える。

第三 中村元と被告人との間に授受された金員について

一 (初めに金ありき-第一審及び控訴審裁判官の心証形成の基点)

物に表裏があって、表と裏の様相が大きく異なり、場合によっては正反対の様相を示すことがあるように、事実の認定や証拠の評価もいわゆる光線の当て方、観点の違いによって、一八〇度異なる場合があることは、我々の経験則の教えるところであり、本件においてもこの事実認定と証拠評価の違いが、弁護人の無罪という主張と第一審及び控訴審の有罪という判断を分けることになったものである。

ところで、本件弁護人は、被告人が未だ捜査段階での勾留中の取調べ段階から今日に至るまで、同人との数十回に亘る事件の打合せ、その中には群馬県館林の被告人方を訪れての被告人の妻や息子ら夫婦との懇談も一〇回を下ることはなく、このような打合せ等を通じて、被告人の性格や家庭の雰囲気というものを知るに至り、第一審及び控訴審の有罪判決にもかかわらず、被告人の無罪を強く確信するものである。

それでは、何故に第一審及び控訴審はそれぞれの判決に示したような事実の認定と証拠の評価をして、被告人が有罪であるという判断に達し得たのであろうか。それは、第一審及び控訴審担当裁判官の心証形成の基礎・基点に、中村から被告人に渡されていた合計八七〇〇万円(中村の主張によれば、金九一〇〇万円)という多額の現金の存在があることは間違いない。

まさに、「初めに金ありき」なのである。

第一審及び控訴審裁判官の心証形成の過程は、中村から被告人への多額の現金の交付という事実から、各個別の事実認定及び評価を下す以前から、当初からこの現金の存在に引きずられ、このような多額の現金の授受の裏には何かあるに違いないとの心証を形成した上、被告人有罪という判断に大きく傾いていったに違いないのである。

なぜならば、もし、本件において八七〇〇万円(あるいは九一〇〇万円)の現金の授受という事実が存在せず、その余の証拠しか存在しなかったとすれば、検察官は本件を起訴し得たであろうか。また仮に起訴があったとして、第一審及び控訴審で被告人有罪の判決はなされたであろうか、いずれも答えは否であろう。

このようにして、本件では「初めに金ありき」という事実に惑わされることなく、中村が被告人に現金を渡した趣旨について中村の供述につき、十二分の検討を加える必要性が存するのである。

そこで

〈1〉 中村から被告人に交付されたものについて、同人が現金と認識していたのはどの部分か。

〈2〉 被告人に現金の認識があった部分について、それが被告人への報酬と合理的に説明できるか。

という点を慎重に吟味する必要がある。御庁におかれては、この点につき何卒、今一度の慎重な御審理をお願いする次第である。

以下、右〈1〉、〈2〉の点に関して具体的に主張する。

二 (被告人が現金と認識しなかった部分-〈1〉の点について)

1 中村と被告人との間で授受された現金は、三〇〇万円、七〇〇万円、七一〇〇万円(金額に争いあり)、六〇〇万円の合計四回である。このうち、授受の時期を別にすれば、右三〇〇万円、七〇〇万円、六〇〇万円の合計金一六〇〇万円については、被告人にも現金である認識で受領していることは争いかないが、ボストンバック在中の金七一〇〇万円については、被告人がそのバックの在中物が現金であるという認識を有していたことはあり得ない。

2 控訴審判決は、この点につき、

(1) 授受の時期や中身が中村の供述と一致すること

(2) 多額の現金を被告人に預けるに際し、中村が中身を告げなかったことは考えられないこと

(3) 中村きみと被告人の間には、きみが被告人に後事を託すような関係になかったこと

更に、弁護人の主張に対し、

(4) 保管方法についても、仮に被告人主張のような中身であっても保管に慎重を期すべき必要性は変わらず、被告人主張の保管場所は、被告人自身一番安全である旨自認していること

等判示して、中村の供述を信用できるとして、被告人は右ボストンバックに現金が入っていたことを認識していた旨認定している(控訴審判決二六丁以下)。

3 しかしながら、ボストンバックの中身についての被告人の認識がどのようなものであったかを判断するとき、被告人が中村からボストンバックを預かった後に、その保管方法を含めてどのように扱ったか、すなわち七〇〇〇万円を超える多額の現金が存中しているという認識が被告人にあった場合に、同人が採った保管方法等が合理的に説明できるか否かという観点が極めて重要であることは疑うべくもない。

この点、控訴審判決は、ボストンバックには中村きみの相続関係書類や貴金属類が存中していたと思った旨の被告人の供述についても、保管に慎重を期す必要性は現金存中の場合と異ならないという。しかし、バックの中身が貴金属類であった場合においても、その貴金属類の価値を被告人がどの程度に考えていたか否かで、当然その保管方法は変わってくるのが道理である。もし、被告人が、存中の貴金属類が極めて高価なものであるという認識を持っていれば、事務所の倉庫に保管、結局は一年余りも漫然放置の状態で保管することはしなかったと考えるのが相当であろう。被告人がそのような保管方法ならびに態度を採ったということ自体、被告人の認識は、バック存中物にそれほどの価値があると思っていなかったなによりの証左であるといわなければならない。

更に控訴審判決は、被告人自身、倉庫が一番安全な場所である旨自認しているとして、昭和六二年一二月二四日付質問顛末書を引用しているが、右顛末書の判決の指摘する部分の被告人の供述は、「私の事務所の中では、倉庫は鍵もかかりますし、一番安全な場所なのですから」というものであって、その趣旨は、事務所の中では他の場所に比較して安全であるという相対的評価をしているに過ぎないのであり、七〇〇〇万円を超える多額の現金を保管するのに適した場所であるという認定に使用できる供述では到底あり得ない。

もし、被告人が七〇〇〇万円以上の現金がボストンバックに入っているとの認識があり、かつ、中村の供述通りその一部がいずれ脱税の報酬として被告人の所有に帰するものであったとするならば、その可能性の高い低いは別として、少なくとも盗取や焼失の可能性がある場所(いくら鍵がかかるとしても、夜間は人の出入りが途絶える場所であることは明らかであって、完全に盗取を防止することは不可能であろうし、まして火事による焼失という危険性は、倉庫がプレハブ建物であることからして、これを除去できないことは明らかである。)に、被告人が中村から預かってから一年余りの長期にわたり漫然といわば放置の状態にて保管しておいたなどということは、到底常識では考えられない。このことは、控訴審判決は特別の事情がなければ、通常人として絶対に採ることのない異常な行動を被告人が採ったという認定をしているのと結果的には同様であって、その不合理性は明らかであるといわなければならない。

4 なお、控訴審判決判示の上記(1)、(2)、(3)の判断について述べておく。

まず(1)の点であるが、授受の時期及び中身の供述が中村の供述のとおりであるとしても、実際に、被告人と中村がボストンバックの授受をした際に、どのような言動があったかが問題とされるべきである。中村自身は当然中身について認識があるわけであるから、現金である旨を述べたまでのことであり、これを中村の供述を信用できるとする根拠として挙げるのは、不合理である。

次に、(2)の点も、脱税により取得した金員であることを被告人に知られれば、いずれこの金員は、被告人の手により税務署に納めさせられることになるかもしれない、また、被告人に中村電線ないしは中村家の弱みを握られてしまうという気持ちから、これを隠し事実を被告人に打ち明けなかったと推認できるものである。事実、中村が被告人の中村電線への関与を嫌っていたことは中村の供述等から十分窺い知れるところであるから、脱税により取得した金員である七〇〇〇万円を超える多額の金員がボストンバック内に存中していると事実を被告人に話したとすることの方が、あり得ない話といわなければならない。

そして、この中村の供述はそもそも被告人が中村電線の脱税をずっと以前より知っていた、関与していたという前提に立っているものであり、その点の吟味なしに中村の供述を信用すること自体がそもそも誤りである。

更に(3)の点も、中村きみが生前から被告人を嫌っていたという趣旨の中村の供述から由来するもものであるが、右中村の供述は再三述べるとおり被告人が中村電線の脱税を知っており、かつ、関与していたという前提に立脚したうえ、中村きみが被告人に中村電線の実態を知られているので本当は被告人のことを嫌っていたということであるから、この中村の供述を信用すること自体がそもそも誤りなのである。

右前提から離れ、被告人が税理士であるとのみ考えれば中村きみは税務問題に関してはもっぱら被告人にその処理を依頼していたのであるから、自己の相続に関して、しかるべき処理を被告人の手に委せるという気持ちを有していたとしてもなんら不思議ではない。また、百歩譲って、きみとしては自己が死亡した後の中村電線工業の経営を含めたすべての後事を被告人に託すというところまでの気持ちはなかったとしても、相続関係の処理を被告人に依頼するという事は十分あり得る事であったし、被告人がそのように考えていたとしても、なんら不合理な事とは言えない。加えて、中村自身、きみ死亡後の昭和六一年一月ころには、きみの相続税処理を被告人に依頼しているのであって、このことは中村自身、きみ生前中に同人からその旨の指示を受けていた証左と言えるのである。

5 こうして、中村と被告人との間で授受されたボストンバックの中身に関する認識についての控訴審判決の認定の仕方は、被告人は本件犯行を行ったに違いないという結論が先に立った、為に謝った理由付けといわなければならない。

三 (報酬性否定の根拠事実-〈2〉の点について)

1 (被告人が中村から預かった金員に手をつけていないこと)

この点で、まず何よりも指摘しておかなければならないのは、仮に被告人が中村から受け取った前記多額の現金(ボストンバックの中身が現金であるという認識か、被告人になかったとしても、その余の一六〇〇万円を被告人が受け取っていることは明らかであり、この金額も相当多額といわねばならない。)が、この全額被告人の報酬にならなくとも、そのうちの相当部分が被告人の報酬として授受されたと中村は供述するが、もし中村の右供述が事実であるとすれば、被告人が昭和六一年一二月一日に右預かった現金を中村に返還するまでの間、全くそれに手をつけなかった或は費消しなかったということをどのように説明したらよいであろうか、また、中村も被告人が手をつけていなかったと考えていなかったことは、中村の代理人である高橋弁護士より被告人に対する内容証明郵便における記載や返還の際における中村の供述からも十分推測できることである。(なお、内三〇〇万円の内の一〇〇万円については被告人が入れ替えた可能性がある旨控訴審判決は指摘するが、その独善的推認による誤りの結果であることは、後に指摘する通りである。)。

中村は、現金入りのボストンバックを被告人に手交した際には、被告人から「時効」が成立したら脱税により取得したこの金員を分けようといわれた旨の供述もしているが、この時効完成までは金員の分配をしないということにどれほどの意味があるのか、けだし疑問である。もし被告人が中村と共謀して脱税行為を行っていて、これが時効完成までの間に発覚したならば、報酬に充てられる予定のこれら金員は、被告人と中村とで分配していようといまいと、犯罪成立の帰趨に全く影響はないのである。むしろ、共犯者たる中村から脱税した金員を、預かったままの状態で所持していることの方が余程危険であるといわなければならないのである。そして、真実これら金員が被告人の報酬に充てられるものであったとすれば時効完成後金員の分配をすると、いったいわないに拘らず、被告人は自分の取り分を速やかに分配して、架空名義或いは他人名義で預金しておくなど隠蔽工作をして、手元に金員を置いておかない方が安全であることは容易に判断できることである。まして、この種の金員であるから中村との間に金銭預かり証等、金員授受の痕跡を残すはずもないのであるから、仮に被告人が本件犯行に関与していて、報酬として前記金員を中村から手交させ得たならば、早急にこれを自分のものとし、前述のような隠蔽工作をして発覚しないように保管したうえ、万一脱税が発覚したとした場合には、中村からの金員受領の事実を否定し、犯罪行為に加功したことをも否認する方が、余程犯罪者の心理に適った行動であるといえる。

そのような行動を一切採らず、中村から被告人に預けられた金員には一切手をつけることもなく、漫然授受された状態のままにしてこれを保管し、一年余後の中村の返還要求に対して顧問契約解除に対しては憤りを覚えたもののこれに従った被告人の行動は、到底本件脱税行為に関与した共犯者の行動とは掛け離れたものであり、これら金員が報酬として中村から被告人に授受されたものでないことは、明らかといわねばならない。

2 (昭和六一年六月二〇日の六〇〇万円入り封筒の「予り」という文言の存在)

この点は既に弁論要旨及び控訴趣意書でも縷々述べている点であるが、この六〇〇万円が被告人の報酬として授受されたものならば、何故に被告人は封筒に自ら「予り」などと書いたかが、大きな疑問としなければならないであろう。

弁論等で詳述しているとおり、中村から被告人に手交された金員が、被告人に対する脱税の実行協力に対する報酬であるとするならば、何故「予り」としたのであろうか。まして、中村はこの六〇〇万円は被告人よりサーモテックへの外注分を同社の売上げとして認めさせた報酬として被告人より要求されたと供述しているものであるから、この六〇〇万円は中村からの預かりでも何でもなく、被告人が報酬として受領しておいてよいものであったはずである。中村の供述に一貫して流れている基調は、被告人が本件についてのリーダーシップをにぎっていた主犯格であるというものであることは疑いがなく、中村の供述によれば主導的な立場にある被告人が、中村から手交された現金入り封筒に、中村から特に要求されたわけでもないのに、自ら預かりである旨書くであろうか。そのようなことは到底考えられない。それこそ控訴審判決ではないが、不合理極まらないことと言わねばならないであろう。

また、他の現金入り封筒が結局押収されずに終わっているので、確たる証拠はないが、被告人は、他の封筒にもこの六〇〇万円入り封筒と同じく、「予り」ないしは預かった趣旨の文言を記載していたというのであって、中村と被告人との授受された金員の趣旨については、被告人が現金と認識した部分については、全て預かっておくものであったことといえる。

こうして、以上の指摘した点からも、被告人の受領した金員は、報酬として授受されたものでなかったことが明らかといわねばならない。

第四 被告人を有罪とした控訴審判決理由の不合理性

一 (被告人が中村に伝えた四〇〇〇万円という数額の意味)

1 いみじくも控訴審判決が自らその二一丁裏で、「問題は右四〇〇〇万円という数額の意味である。」とその重要性を吐露したように、この数字が何を意味するかは被告人の有罪無罪を決める決定的な点といえ、この点を合理的に説明できない限り、被告人が本件犯罪に加功したとの認定は到底できない。

すなわち、この四〇〇〇万円という数字のやり取りについては、控訴審判決も認めるように、昭和六〇年一〇月二八日ころ、被告人と中村との間でなされたやりとりの際、被告人より発せられた数字である事実は、検察官の執拗な中村に対する公判廷での質問と中村の答とによって、動かしがたい。さすれば、この四〇〇〇万円という数額が弁護人主張のように期末整理前の利益であったとすれば、この四〇〇〇万円を前提に七〇三三万円余りの架空費用の計上を被告人が、永島に指示するはずがないということは、控訴審も認めざるを得なかったため、控訴審は以下のとおりその独善的な解釈をせざるを得なかったのである。

2 では、この数字は控訴審判決がいうように税額を意味するといえるであろうか。答えは否である。貴庁におかれては、この点に関する控訴審判決の理由付けが、結論を導くためのこじつけ、つまみ食い的証拠の引用と評価に終始していることを、正当にご指摘いただき、控訴審判決を破棄する正義を行っていただきたい。弁護人は、この点と後に述べる三〇〇万円の帯封の点の控訴審の認定には、心底怒りを覚えるものであり、このような不正義は絶対に許されてはならないし、また許されないものと確信するものである。

3 控訴審判決は、この四〇〇〇万円という数額は弁護人のいう利益額ではなく、税額を意味するといい、以下の理由付けを述べるほか、他の理由を挙げている。

(1) それが利益金額だとすれば、実際所得金額一億六二九〇万四六三三円に比べて、余りに掛け離れているし、むしろ正規の税額六九二三万二五〇〇円に近い。

(2) 被告人とのやり取りではこの四〇〇〇万円について、「払える」、「払えない」という言葉のやり取りがあり、利益を払うということはあり得ないから、税額を意味する。

(3) 記録二八丁の二六五の部分のやり取りから、メモ下から二段目がこの四〇〇〇万円を指し、その上が前年の脱税額を示し、最下段がそのトータルと0認定し、脱税額と利益額の合計は無意味であるから、下から二段目の四〇〇〇万円に該当する部分は税額である。

4 これらの認定理由の不合理性を以下に述べるが、その前にぜひ指摘しておかなければならない点は、税理士たるものが顧問先会社に税額を指摘する場合、法人税のみを伝えることはまず絶対に無いということである。税理士業務に携わったことがあるものならば、これはイロハであって、控訴審の裁判官におかれては税法等については極めて精通しているとしても、実際の業務をしていないことからくるこの点の不認識、無経験が根本的誤りを犯す原因となっているのである。

もし、法人税のみを伝えるとすれば、「法人税額は………」と特定して言うのがごく常識である。それに対して、特に限定しないで「税金が………位」という場合は、個人に場合ならば、「所得税」に「住民税」更に「個人事業税」を含めた概算を伝えるのであり、法人の場合は「法人税」、「住民税」、「法人事業税」の合計概算を伝えるものなのである。

被告人が中村に伝えた数額が控訴審判決のいうように仮に税額だったとすれば、本件では法人税と限定ないしは特定して伝えたと認定できる証拠はないので、被告人は国税・地方税を合計した税額を伝えたということになるが、そうなると被告人の伝えた四〇〇〇万円という数額は、国税・地方税の合計の税額とは掛け離れたものとなってしまい、控訴審判決が苦労した税額という認定は、その根底からくずれざるを得ないことになるのである。

5 さて、上記の点を念頭において、(1)の控訴審判決の理由を検討すると、中村が供述するように、この昭和六〇年八月期の申告分については、中村自身が相当架空費用を計上しているというのであるから、中村の手で操作された架空費用の数額が判明しなければ、実際所得金額と正規税額の数字をはさんでどちらに近いかを比較すること自体意味のないことといわねばならない。ましてや、判決ではこの中村の手で操作された数額を全く考慮の外においての比較であって、単に四〇〇〇万円という数額が、正規税額の数額に近いから税額であるとする控訴審の判示は、全く証拠に基づかない認定であり、その不合理性は明らかで、到底四〇〇〇万円という数字が税額を意味するという理由付けにはなり得ない。

6 次に、(2)の「払える」、「払えない」という意味のやり取りを捉えての点であるが、この認定に対しては、正直よくここまで考えたと感心するより唖然としたという一方、そのつまみ食い的証拠の引用と認定に強い怒りを感じるものである。まず、この四〇〇〇万円と言う数額については、捜査段階から控訴審判決が出されるまで、これを税額として考えた関係者はただの一人もいなかった。検察官や弁護人、第一審裁判官は勿論のこと、当の会話をした中村及び被告人すら考えていなかった。会話をした当事者が利益と考えて話していたものを、後に裁判官がそれは税額だと認定するようなことが許されるであろうか。この控訴審裁判官の認定の強引さに、被告人を何としてでも有罪としてやろう、それにはこの四〇〇〇万円の説明もこじつけでも何とかしてやろうという悪意が満ち満ちていると言わざるを得ない。

この四〇〇〇万円の金額についてのやり取りを、この払える払えないというような部分のつまみ食いをせずに、正当な評価をしていただくため、以下あえて長文を厭わずに引用する。

中村の第一審第二回公判における供述(同第二回調書)

(検察官) 行ったらどういうことがありましたか。

行ったら、おまえんちはこれだけ利益が上がっているんだと、四〇〇〇万円といわれた記憶があるんですが、それで払えるんかと、うちのほうはそんなに払えないですと、どのくらいだったら払えるんだというから、一〇〇万単位なら払えるでしょうという話をしたんですが、そのときに帳面持ってきまして数字を三つか四つ並べまして、おまえんちは過去にこれだけ脱税しているんだぞと、これがばれたら、うちの父が元警察官だったんですが、元警察官中村五郎、税理士山﨑会計というのが新聞に載るぞと、そんなことを言われまして、そのときにあんまり言うんで、じゃあなんとかして税金を払いましょうと言ったんですが、そのこともかき消されてしまって、それでなんとかしてくれるという話になりまして。

そうすると、山﨑税理士が言ったのは四〇〇〇万円くらいの利益が出ているという話だったんですね。

はい。

それは昭和六〇年八月くらいの話なんですか(八月との発問は一〇月の誤り。)。

はい。

具体的に言うと、一〇〇万単位にしてくれというのは幾らくらいというつもりで言ったんですか。

五〇〇万前後、いっても九九〇万円ですか。

要するに一〇〇〇万を超えないということですか。

はい。

あなたはこの昭和六〇年八月期の決算のときにこの確定申告書を見たことがありますか。

ありません。見たのが六一年の一二月一日です。これは弁護士さんを入れまして、山﨑さんと縁を切りたいということで、そのときに現金なんかと一緒に返してもらいました。

ここの所得金額を見ますと、八九二万という計算になっていますけれども、これもあなたは分からないわけですね。

六〇年の八月期は二百何万ということで税額を納めたと思います。

それは承知しているわけですね。

はい。

それで四〇〇〇万円くらい利益が出ているということで八〇〇万なにがしということで出ているわけですけれども、一〇〇万円単位にしてくれというのはあなたの言ったとおりになっているわけですね。

はい、一応そうなっています。

中村の第一審第三回公判における供述(同第三回公判調書)

(検察官) 前回証言されたことで確認しておきたいこと、訂正してもらいたいことが若干ありますので、その点だけお聞きしますけれども、山﨑税理士からおまえのところの会社は四〇〇〇万円位の利益が出ているということで、おまえんちは過去にこれだけ脱税をしているので、これがばれたらあなたのお父さんである元警察官中村五郎、税理士山﨑会計というのが新聞に載るぞということを言われましたね。

はい。

それを言われたのは、いつ言われたんですか。

昭和六〇年の一〇月の末だったと思います。

というのは、昭和六〇年八月期の決算の時ですね。

はい。

中村の第一審第四回公判における供述(同第四回公判調書)

(大森弁護人) ところで、今のお話が六〇年八月、九月ぐらいですから、ちょうど五九年九月から六〇年八月までの決算期ですかね。このとき、大体一〇〇〇万円ぐらい、ということですけれども、それ以前の年度の決算期では、大体あなたはどのくらいの利益が出るという予測を、あなた自身していました。

まあ、確かに企業は利益が出なくちゃならないんですが、私は会社のほうは何とか回っていればいいという感覚でいましたんで、いちいち予想も、うすらうすら今月は支払えるな、よかったな、という感覚で会社をやっていました。

これはあなたの第二回目の公判の主任弁護人の山田弁護人からの質問で、二〇丁辺りですけれども、「会社の利益がどの程度あがっているかということはご存じなんですか。」という質問で、「額は分かりませんが、利益が出ているか出ていないかは分かります。」更に主任弁護人の質問で「おおむねの金額は予測がつかないんですか。」ということで、「二、三千万は出ているんじゃないかという予測はついています。」こういうようなお話で、これは五六、五七、五八年度についてのあなたの話なんですけれども、大体そのくらいの数字というのは予測はついていたわけでしょう。

結局、うちのほうがよその企業より支払いが早いもんで、だから、支払えれば利益が出ているな、という解釈はしていました。

支払えればというのは。

末締めの一〇日払いで動かしていますんで。

月毎のいわゆる締めに対する支払いができれば、大体、利益が出ているんだろうと、あなたのいわゆる会社経営に対する数字的な感覚というのは、そんなものだったんですか。

はい、そうです。

あなたの会社ですけれども、五九年から六〇年にかけてかなり売上があがったということはありませんか。

…………仕事も忙しかったですから、あがっていたと思います。

あなたは経理のほうは仮に分からないとしても、営業関係は一切やっておられるという話ですから、売上が伸びているというのは十分分かっていたはずですよね。

はい。

そうすると、この六〇年八月ごろの利益というのが一〇〇〇万ぐらいだというのは、ちょっと記憶に照らしておかしいんじゃないか、というふうに思うんですけれども、その点いかがでしょうか。

………………。

やっぱり一〇〇〇万ぐらいの感覚でしたか。

まあ、私の予測と山﨑さんの予測は数字がいつも違っていましたんで、一〇〇〇万…………そんな感覚でしたね。

今回の起訴状によりますと公訴事実の第一に、六〇年期のあなたの会社の利益が一億六〇〇〇万ぐらいということになっているんですね。

利益がですか。

はい。あなた自分自身が被告人の立場になって裁判を受けていますでしょう。

はい。

かなりの金額の利益が出ているということになっていますでしょう。数字は覚えてないかもしれませんけれども、一億を越えているんですよ。

………………。

あなたはそのくらいの感覚はあったんじゃないの。

ありません。

話はちょっと飛びますが、あなたはその後、被告人のほうから、六〇年八月締めの決算期については四〇〇〇万円ぐらいの利益が出ているという話を聞かされたと言っておりましたね。

はい。

これは検事から二回ほど確認されて、間違いない、という話になっていますね。

はい。

これは間違いないんでしょうね。

四〇〇〇万というのは、僕は聞いた話ですけれども、確かにそういう記憶はあります。そのときに、あなたの頭の中で一〇〇〇万ということになれば、山﨑先生のほうから四〇〇〇万と言われれば、かなりの開きですね。

はい。

納める税金としては相当違って来ますよね。そのとき先生には何か言いませんでしたか。

びっくりして、そんなに払えないですよという話はしました。

一〇〇〇万位じゃないですか、というふうなお話も、したんでしょうね。

それはしたかどうか、ちょっと記憶ないですが、そんなには払えないですよと言って。

そんなに金はないですよという話はしたと思います。

ところで、一二五五万円の経費計上で、あなたとしてはそうすると、一〇〇〇万くらいの利益ということになると、これで大体、決算のほうは税金納めなくていいというくらいのイメージは持っていたんですか。

…………それ言われるとちょっと。…………記憶になくて分からないんですが、税金は、多少納めなくちゃならないだろうなということは、頭に持ってました。

以上のとおり、この四〇〇〇万円の数額の意味については、その会話の当事者である中村と被告人は終始一貫して利益であることを当然の前提で話し合っていることは明らかであり、検察官及び弁護人もこのことは当然のこととして質問しているのである。

「払える」、「払えない」という部分は、約四〇〇〇万円の利益を前提に算出される税金を払うことができるかどうかという意味の会話であることは、その前後の弁護人とのやり取りを通読すれば明らかで、それ以外何の説明が必要であろうか。この部分を取り出しての控訴審判決の右認定は誤りである。

7 この認定の仕方は、(3)の点についても同様指摘できることである。控訴審判決が指摘するように、確かに弁護人はメモを示しながらの中村に対する質問で、四〇〇〇万円を意味する部分の上の段の数額の意味を質問するに際し、これを税額と言うような発問になってはいるが、これも中村と弁護人とのやり取りをその前後を併せて通読すれば、単なる発問の誤りであることは明らかと言わねばならない。前記のとおり、質問する弁護人も証人の中村も、四〇〇〇万円を利益として発問と供述が行われているのであるから、そのメモの四〇〇〇万円を意味する数字の上を、脱税額として質問するはずはなく、中村も脱税額として供述しているはずはないのである。この部分も、以下引用するとおり、控訴審の示した理由は絶対に納得できない。

中村の第一審第四回公判における供述(同第四回公判調書)

(山田弁護士) 山﨑税理士からは四〇〇〇万円の利益が出ていると言われたんですか。

一応そういう記憶で覚えていました。

平成元年押第一二号符号3の「数字を記載したメモ一枚」を示す

それで二八日にこのメモを見せられたわけですね。

はい。

あなたは二八日に山﨑会計事務所に行ったのは何時ごろですか。

午後じゃないかと思います。

何時間くらいいたんですか。それとも何分ですか。

何時間でしたね。

どのくらいいたんですか。

八時か七時ごろまでいたと思います。

それは山﨑税理士の自宅の裏の事務所ですか。

はい、そうです。

何時からいたか記憶にないですか。

ちょっと記憶にありませんが、三時ごろだと思います。

三時ごろから七時すぎごろまで。

はい。

これはいつごろ見せられたんですか。

……………………。

話をして間もなくですか、それとも最後のほうですか。

最後のころじゃないかと思います。

そのとき、このメモは被告人が書いたんですか。

そうです。

そのときに書いたんですか。

はい。

何か、手控えなどを参照して書いたんですか。

そんな感じでした。

メモを見せて、あなたになんと言ったんですか、もう一度言ってください。

おまえのところはこれだけ脱税今までしているんだぞと。

今まで。

はい、そう言っていました。それで、もしものときはおまえのおやじとおれが新聞に載るよと、そう言っていました。

今までというのは過去に何年にもわたってという意味ですか。

じゃないかと思いますけれども。

それで、六〇年の八月期四〇〇〇万円くらい利益が出ているぞと言われたわけですね。

はい、そういう記憶があります。

あなたの利益が出ていると、六〇年の八月期の利益が出ているという、その数字というのはどこの数字だと思ったわけですか、このメモで。

一番最後の数字じゃなかったかと思います。

三九一五〇という数字ですか。

はい、四〇〇〇万円くらいという記憶がありますので、それから考えてみるとそうだと思います。

そうすると、あなたとすると、五九年の八月期は山﨑税理士のほうでは一三九九九五という数字の脱税をしているんだぞと思っているというふうにあなたはとらえたわけですか。

はい。

この最後に一六九四五九と書いてあるでしょう、この数字は何を意味するんですか。

合計じゃないですか。

トータルだと。

はい。

もう一度お聞きしますが、六〇年の八月期、つまり五九年の九月一日から六〇年の八月末までのあなたのところの利益額というのはこの三九一五〇という数字だと思ったわけですね。

そうですね、四〇〇〇万という記憶がありますので。

上のほうに書いている五つの数字というのは過去五年度にさかのぼった数字だというふうにあなたはとらえたわけですか。

はい、そうです。

経験豊かな控訴審裁判官が、この弁護人指摘の不合理さに気づかないはずはない。これをあえて無視するようにこのような強引な理由付けをする真意は、既述のとおり、「はじめに金ありき」という事実から、被告人はまず有罪であると結論したことから来ているといわざるを得ない。

その他、これら第一審公判廷における中村と弁護人とのやり取りにおいては、以下引用する。

中村の第一審公判廷における供述(同第四回公判調書)

(山田弁護人) それであなたは四〇〇〇万という数字を聞いて意外には感じなかったんですか、まあ当然そのくらいだろうなというふうに感じたんですか、それとも少ないなというふうに感じたんですか。

先ほども言ったように、私の計算と会計士の計算はいつも合いませんので、そんなくらいかなという感じもしましたし、首をちょっとひねったと思います。

首をひねったというのは。

そんなにあったのかなという感じです。

あなたのそんなにあったのかなという数字というのは、あなたの本件で起訴されていますね。

はい。

そうすると、六〇年の八月期においては幾らの脱税をしたということで起訴されたというのは分かっていますね、先ほども大森弁護人のほうから聞いたんだけれども。

一億六〇〇〇万円です。

正確には一億六二九〇万四六三三円。

それは全然意外です私としては。

この金額はあなたの法廷では認めたんですか、否認したんですか。

否認していると思います。

どういう趣旨の否認をしているんですか。

そんなに多くはやっていませんということで、だから一部認めて、一部認めないという感じです。

幾らくらいという趣旨なんですか。

……………………。

あなたは自分の弁護人とあなたの被告人事件において相談もしているわけでしょう。

はい。

そうすると、そんなにやっていない、そんな多いはずはないということならば、幾らくらいだということは法廷で言ったんじゃないですか、あなたの弁護人が。

………………言っていますね。

幾ら。

一〇〇〇万か二〇〇〇万か、そのくらいじゃないかと思います。

あなたの意思を聞きたいんだけれども、そんなにやっていないというのは、いわゆるそんなに架空仕入れや何かをしていないという趣旨ですか。

やっているんだけれども、私の意思でやったのはそんなに多くないという趣旨で進めているわけです。

あなたの考えている一〇〇〇万というのは実際の利益が一〇〇〇万という趣旨なのか、そうではなくていわゆる架空の、あなたのほうでも外注さんの給与を半分除外したりなんかしてやっていますね、あと今井信昭さんから架空の外注費をもらったりなんかしていますね。

はい。

そういうものを全部いわゆる経費に換算して、一〇〇〇万くらいしか利益が出ていないというふうに感じたわけですか。

それは六〇年の一〇月の時点の話で一〇〇〇万という話ですから、だから四〇〇〇万とその時点で聞きましたので。

あなたの認識を聞いているわけです、四〇〇〇万と山﨑税理士から言われたことではなくて、あなたが一〇〇〇万くらいの利益しか出てこないはずだという認識をもっていたわけでしょう。

はい。

その認識の根拠を聞いているわけです。その一〇〇〇万という金額は全然脱税分を除いた金額なのか、それともあなたのほうで手を加えたうえでの一〇〇〇万という数字なのかということです。

五九年の九月から六〇年の八月でしたら、そのときは一〇〇〇万くらいという認識はありました。

その認識の根拠を聞いているわけです。つまりあなたのほうで今井信昭さんとかという関係でいろいろ数字を動かしているわけでしょう。

それは、六〇年の一〇月から九月までです。

その前に中村きみ、あなたのお母さんが今井信昭さんに頼んで外注関係をやっていたわけでしょう。

はい。

外注関係は、今井さんとの間は正規の取引だという認識をあなたはもっていたわけですか。

いや、あれは全然、死んでから分かったんですから。

その前は正規の取引をしていたんですかという質問です。

今井とは正規の取引をしていました。

していたという認識なんですか。

していました、現に架空のものに関しては正規のじゃなかったです。

それはあとで知ったわけですね。

はい。

あなたの一〇〇〇万円という数字は天谷さんが内職さんに対する給与を半分だけは正規に出して、半分だけは簿外にしていたというような操作をしていますね。

簿外は簿外ですけれども、本人にはちゃんといっています。

簿外ですね。

はい。

そういう操作分を含めて一〇〇〇万しか利益が出てこないはずだという認識をもっていたのか、そもそもそういう操作をする前に中村電線は一〇〇〇万くらいの利益しか今期は出てこないはずだと、正規の取引をやってという認識をもっていたのか、どちらかという話です。

そういう操作をやってだと思います。

と供述し、中村自身における架空計上等の操作後における中村電線の昭和六〇年八月期の利益は一〇〇〇万円程と認識していたことをいみじくも自ら明らかにしていることについても、何らの判断を示さず、強引に「利益」を「税額」にすきかえていることも、再度充二分に吟味して頂きたいと願うものである。

二 (株式会社日本デジタルシステムと株式会社関東電線工業の各出資金の点について認定がないこと)

1 この株式会社日本デジタルシステムの資本金二〇〇〇万円を、被告人が中村に対し脱税により留保した裏金から出すようにと指示したとされ、その時期は昭和六〇年五月ころで、右裏金からの出資の事実隠蔽のため、被告人から中村が借金をしたことにした旨借用証書を捏造したとされている。

これに対し、もしそれが事実だとすれば、この同じ時期に設立された株式会社関東電線工業の資本金二〇〇〇万円の出所についても同じように借用証書の捏造等の工作がなされてしかるべきなのにそれがなされていないのは、株式会社日本デジタルシステムの出資金に関する中村の供述自体を疑うべき重要な事実である。

2 第一審判決及び原判決のいずれもが、この点には全く触れておらず、何らの判断も示していない。しかし、この出資金に関する中村の供述は、証拠上被告人と中村との本件犯行に関しての最初の接触事実であり、被告人にこの時点から中村のもとに脱税により留保された金員が存在していることの認識があったか否かは、第二に述べているとおり被告人の有罪無罪を判断するに関して極めて重要な事実であり、再度指摘するとともに、更に付け加えて述べるものである。

弁護人は、弁論要旨及び控訴趣意書において、この点につき、詳細かつ綿密な証拠評価を加えて、被告人は右時点においては、中村の手元に脱税して得た金員が留保されているとの認識がなかった旨主張しているが、判決はいずれもこの点の判断を避けている。

しかし、このことは第一審及び控訴審裁判官はこれを重要ではないと考えたのではなく、この点の合理的説明ができなかったことを自ら露呈しているものといえるのである。

3 被告人は、税務署勤務時代、調査部門において豊かな経験を有する者であり、いわば調査のプロであり、もし、中村の供述とおりに被告人の指示で株式会社日本デジタルシステムの二〇〇〇万円の出資金が、脱税による金員で設立したのではないという体裁を整えるために、被告人から借用したという工作のため、被告人宛の借用証書を作成したものとすれば、同時期に、やはり脱税金で設立した株式会社関東電線工業の出資金についても、株式会社日本デジタルシステムの場合と同様の工作を施すか、あるいは他の何らかの手段を用いて、脱税をしている事実の隠蔽工作を指示しているはずである。

このように、株式会社関東電線工業の出資金に関しては、借用証書の作成等の工作が全く施されていないこと自体、中村が供述するような被告人の関与の事実がないことを如実に示すものといえるのであって、もし、中村の供述とおりであったとすれば、株式会社関東電線工業に関する片手落ちともいうべき被告人の行動は、到底合理的に説明できないことである。

4 前記四〇〇〇万円という数額の問題に比しても、この株式会社日本デジタルシステム及び株式会社関東電線工業の出資金についての問題は、被告人の有罪無罪を決するうえで、勝るとも劣らずに重要な点であって、「金銭消費貸借契約書をめぐる中村、被告人両者の供述の食い違い(中略)について検討、再考してみても」(原判決三一丁裏)と、その判断過程を避けて片づけられる問題ではない。

貴庁におかれては、この点についても十分な検討を加えられ、弁護人の主張の合理的なことを御理解いただきたい、

三 (三〇〇万円のうち一〇〇万円の帯封の日付けの点について)

1 原判決は一九丁裏において、三〇〇万円の授受の日時を中村の供述とおりであるとの前提で、引渡書類に記載されている三〇〇万円が同月一二、三日ころ中村が被告人に交付したという三〇〇万円と同一物であるということに関しては被告人の供述以外何らの証拠もないとしたうえで、

(1) この三〇〇万円は被告人への贈与の趣旨で授受されたものであること

(2) 授受から返還まで一年以上の日時が経過しているので、その間三〇〇万円が同一性を保っていたというのは不自然である

と判示して、言明はしないものの、この一〇〇万円は後に入れ替えられたことを示唆している。

2 ところで、被告人から中村に引渡書類記載のものが返還された際、この三〇〇万円が入っていた封筒は、その引渡書類の記載から明らかなとおり、「封印」されていたことを想起されたい。この引渡書類に記載された「封印」という言葉の意味を合理的に解釈すれば、文字通り、封がなされて封じ目に押捺されていたことを示すのである。

さすれば、原判決の示唆するのが事実であったとすれば、八月一二、三日ころ、被告人は中村から三〇〇万円を受け取り、そのうち一〇〇万円束一つだけを取り出して自己の用途等に使用した後、約二週間後の八月二九日付けの帯封の一〇〇万円束をその封筒に戻し、わざわざ封をして封じ目に押捺したということになる。

まして、他の二〇〇万円の束は群馬銀行のものであることから、被告人が抜き出したとする一〇〇万円束も、同時期に授受されていることを考えれば、同じ群馬銀行のものであったと推測するのが合理的(第一審における公判の際、弁護人が検察官より受領した中村より押収した帯布一覧表によれば、間違いなく群馬銀行のものである。右一覧表を本上告趣意書末尾に添付する。)であるが、そうだとすればこの補充した一〇〇万円の帯封も他の二〇〇万円と同じ群馬銀行の帯封であるから、被告人はわざわざ群馬銀行の一〇〇万円束を用意したか、あるいは偶然手元に群馬銀行の一〇〇万円束があったことになる。

はたしてこのようなことが通常あり得るであろうか。被告人がわざわざこのような煩雑な作業をする必要はどこにあったであろうか。

3 原判決はこの三〇〇万円は、中村から被告人へ贈与の趣旨で渡されたものであるというのであるから、原判決判示のとおりとすれば、ますます被告人は取り出した一〇〇万円を穴埋めするかのように、別の一〇〇万円を封筒に後に補充するような行動をとる必要性は全くなかったはずである。

また、授受から一年以上の経過という事実により、その同一性の原判決は疑いを投げかけているが、補充されたとする一〇〇万円束の日付けが八月二九日であるから、原判決の示唆するところを前提とすれば、被告人がその一〇〇万円を補充した時期は、八月二九日からそれほど時間が経過していないころと推測するのが合理的であろうと思われるが、そのように考えても被告人は、その補充をしてから一年ほどは、全くこの贈与の趣旨で受け取った金員に手をつけなかったことになり、これもあり得る話ではない。

4 このようにして、原判決のこの一〇〇万円束の日付けに関する説明は、極めて不合理であって、余人を納得させるものでないことは明らかである。

加えて、原判決は、その二九丁表において、昭和六一年六月二〇日ころ六〇〇万円についての判断部分において、「引渡種類によれば、一〇〇万円束六個の帯封のうち一個の日付は同年六月四日となっており、これが後に入れ替えられたことを窺わせる証拠」はないとして、ここでは、入れ替えの事実はないというのである。

中村の供述によれば、この六〇〇万円も脱税行為の報酬として被告人に渡した金銭であるというのであるから、右三〇〇万円の授受とその趣旨を異にするものでないことは明らかである。敢えて、その違いをいえば、被告人が中村から受け取ってから返還するまでの期間の長短であるが、この六〇〇万円にしても返還迄の約半年の期間の経過があるのであって、それ自体かなり長期であって、判断を左右する要因には到底なり得ない。

三〇〇万円については入れ替えがあったといい、他方六〇〇万円については入れ替えがなかったという原判決の判断の矛盾を、どう理解したら良いのであろうか。

原判決は被告人に不利益な方向での強引な理由付けによる事実認定をしているとしか思えない。

5 この三〇〇万円の授受に関する中村の供述の虚偽であることは明らかであって、このことは中村の他の供述の信用性を疑わしめるに十分な事実といえるであろう。

さらに、これにととどまらず、この三〇〇万円の授受は、被告人と中村との本件犯行の共謀成立の有無及び時期に関して、極めて重要な事実であり、中村の供述とおりの時期にこの三〇〇万円が授受されていないとすれば、この時点での共謀の成立自体が否定されることにならざるを得ず、そうなれば、その後の被告人の言動について、本件犯行への加功を否定するに十分な合理的説明をすることができ、ひいては弁護人の主張の正当性を明らかにするものといえるのである。

第五 中村供述と客観的証拠の不一致がもたらす意味

一 株式会社日本デジタルシステム及び株式会社関東電線工業設立に際する、資本金合計金四〇〇〇万円について

1 中村供述において、右資本金合計四〇〇〇万円については、被告人より中村家には以前より中村電線の脱税により蓄えた金があるから、その金の中から出しなさいと指示され、中村宅の隠し金庫から出してきたとされている。

そして、被告人が右のように中村に言ったという中村の供述は、株式会社日本デジタルシステムの資本金二〇〇〇万円の場合その、資本金を、被告人から各自が借り受けた体裁をとるべく被告人が借用証書を捏造した事実によって裏付けされるというのであるが、縷々述べているとおり、脱税金にて右二社の資本金を賄ったとすれば株式会社関東電線工業の設立の際には、株式会社日本デジタルシステムにおけるが如き工作が一つもなされていない事実によって否定されるものである。

2 そして、まさにこのことは、株式会社日本デジタルシステム及び株式会社関東電線工業設立に際する資本金が、いずれも中村の供述のとおり、中村電線の過去の脱税金によって賄われたとしても、その資本金の出所について、被告人が知らなかったことを意味する。

すなわち、右事実により被告人は、中村供述によれば、中村きみ生存中より中村電線の過去の脱税について関与していたとか少なくとも知っていたというのであるが、その中村供述が虚偽であることを明白に物語っており、被告人は以前より中村電線の架空仕入金や架空外注費を計上することによる脱税には、全くかかわっていなかったのである。

二 昭和六〇年八月一二日ないし同月一三日中村より被告人に手交されたとする金三〇〇万円について

1 原判決は、この金三〇〇万円については、昭和六〇年八月二九日付帯付のある一〇〇万円束一本は、後に被告人が入れ替えた、すなわち、被告人が一〇〇万円を費消し、その穴埋めのため被告人が自らの金を補充したことを示唆している。

中村は右金三〇〇万円については、昭和六〇年八月一二日被告人より、中村電線では利益が出ているので少し落とすため東京の銀行に別名義の口座を作れと指示された際、被告人が実質経営する日本オペレーションセンターの配当金として必要だから用意してくれたと言われた旨供述し、この段階にて既に被告人が中村電線の脱税に関与していたことを示唆するとともに、被告人と昭和六〇年八月期の決算について脱税工作することになった事実の明白なる根拠とし、原判決は右中村の供述につき信用性を与えるため、強引に前記入れ替えの可能性を示唆したのである。

2 しかし、この入れ替えの可能性を示唆すること自体、原判決が右金三〇〇万円について客観的証拠と中村の供述の不一致を認めざるを得なかった結果であり、この入れ替えの可能性を示唆したことは、まさに原判決が極めて不当な不合理な判断をなしていることを如実に物語っているのである。

3 すなわち、弁護士が縷々指摘したとおり、原判決の示唆する入れ替えの可能性は否定されるものであって、この点に関する中村の供述が虚偽であることは、この時点における別口座開設にともない使用した名称・住所等につき中村の供述が弁護人の示した各証拠により明らかであること(この点については、弁論要旨及び控訴趣意書において詳細に説明しているとおりである。)とも併せ、一点の疑問の余地はない。

したがって、被告人と中村が昭和六〇年八月一二日ころ中村電線の昭和六〇年八月期における決算につき、脱税の共謀をした事実はないものである。

三 昭和六〇年一〇月二八日ころ、被告人より中村に告げられた「四〇〇〇万円位」との数額の意味について

1 原判決は、この四〇〇〇万円を利益と解したのでは中村の供述が最も重大なところにて破綻をきたすため、これを「税額」と解したが、この認定の不合理性については、縷々説明したとおりである。

2 これまで説明したとおり、この数額(中村は被告人より四〇〇〇万円位といわれたが、自分自身では一〇〇〇万円位と思った旨供述し、中村と被告人の認識にはいつも違いがあるので、そんなものかなと思っていた旨も述べている。)は、控訴審裁判官以外誰も税額を意味するものとは考えていなかったこと、すなわち、「利益」と解すべきは当然のこととして、「利益」を前提に証拠の評価をし、それに対し各それぞれ主張をなしていたものである。

しかるに、いきなり原判決はこの数額を「税額」と認定したものであるが、このような判断はあまりにも証拠採証上の原則を無視し、かつ、踏みにじるものであり、被告人がその防御権を行使する機会を奪った極めて異例な不当なる判示であることを上告審においては念頭に入れたうえ判断をしていただきたい。

3 この四〇〇〇万円という数額は「利益」であり、この四〇〇〇万円の「利益」が出ていると被告人が言ったことは、まさに中村電線の昭和六〇年八月期決算について、被告人が中村と共謀していないことを示す最も重要な供述なのである。

4 なお、この点に関し、この四〇〇〇万円という数字が期末整理前の帳簿上現金主義のままコンピューターに入力されていた数額を意味するか否かについては、原判決は証拠上必ずしも分明でないとするが、この点中村は、昭和六〇年一〇月二八日被告人方に行く前に永島に対し同月二七日か二八日ころ「うちの決算はどうなっているんですかということで話をしました。そのとき、永島さんに話をしたんですが、お母さんがいつもあれを持ってきてたがねという返事をもらいました………」、この「あれ」というのは右公判廷において「多分、現金じゃないかと思いました。」と第一審公判廷において供述している。

中村は、「あれ」について、現金の要求が永島からなされたと供述しているが、中村は、その供述中において現金についての部分のやり取りは被告人のみとなした旨供述し、永島との間にお金のやり取りにつき話されたことは、唯一、この「あれ」という部分についてのみである。そして、中村は永島より直接現金を請求されたことを述べているのであるが、永島がこの時点において、被告人より中村に対し確定申告書作成に際し、その報酬として現金を要求するよう指示したことを推測する証拠は、この中村供述以外何もないのであって、この「あれ」が現金を意味するものであるかは極めて疑わしい。

中村の供述が、その重要なる部分において、かつ、全体的に破綻をきたしていることは、弁論要旨、控訴趣意書にても述べているとおりであって、その点につき、原判決が中村の供述の信用性を支えるべく不合理な判断をしていることについても誤りであることは、本上告趣意書にて縷々述べたとおりであり、この「あれ」が現金の要求を意味するものとは考えられず、この「あれ」は永島が第一審公判廷で述べているとおり、昭和六〇年一〇月末ころになっても中村電線からは期末処理に必要なる書類(売掛金・買掛金・未払金等についての資料)が被告人事務所に未着であったためその請求をなしたと素直に考えるのが合理的である。

被告人事務所において、確定申告期限ぎりぎりまで何故、期末処理に必要なる書類を中村に要求しなかったのかの疑問については、中村きみが昭和六〇年九月一七日死亡しているため、中村家の悲しみや、中村電線の経理事務が停滞していることをおもんぱかり、敢えて請求していなかったと考えられるのである。

現に、永島の第一審公判廷の供述によれば、昭和六〇年一〇月末ぎりぎりになってようやく中村電線から資料がきたので、急いで申告書をまとめあげた旨供述しているのであるから、申告提出期限ぎりぎりでも十分期末処理ができたことは疑いのないことであって、中村が同月二八日被告人方を訪れた際に、中村電線の期末資料は被告人事務所には届いていなかったと認定すべきものである。

5 四〇〇〇万円という数字の意味は、原判決が判示するが如き「税額」ではなく「利益」であり、かつ、右数額を被告人から告げられた際には、中村電線の昭和六〇年八月期確定申告書作成に必要なる期末資料は被告人事務所には届けられていなかったものであり、被告人が中村に告げた四〇〇〇万円くらいという数額の中には、既に中村において、単独にて全ての架空仕入や架空外注費を計上済みであり、この数額を「税額」と認めることが極めて不合理な以上明らかなことである以上、被告人が中村電線の同年度確定申告につき中村と脱税共謀をなしたと認めることは到底できないものである。

この事実は、ひいては、昭和六一年六月ころにおける中村電線の帳簿や伝票書替えの事実をも否定するものであり、中村電線の昭和六一年八月期における確定申告書作成の際における脱税共謀の事実を否定する証拠となることを上告審におかれてはよくよく考えのうえ、再考を願うものである。

第六 控訴審判決におけるその他の判断部分について

一 (永島の検面調書の信用性の判示部分について)

1 「永島の供述には同人が供述しない限り判明しなかったと思われる事項が含まれている」(五丁表)と判決はいう。

しかし、判決がいうのはどのような部分なのか。もし、同人の信用性判断における根拠の一つとして、この理由を挙げるならば、当然その部分を明らかにすべきであって、漫然抽象的に述べるのみでは、その信用性を認める根拠にはなり得ない。

2 次に、「永島は被告人の妻山﨑キミの妹」である点など、容易に被告人に不利益な虚偽の供述をするとは考えられない立場の人間である(五丁表)という。

然しながら、自ら犯してしない罪を犯したと虚偽の自白をした事例は過去に枚挙にいとまがなく、えん罪事件の多くがこの範疇に入るのである。逮捕・勾留という処分を受けたうえ、捜査官から強く、本件行為に加担していると指摘された者は、自己の刑責を免れ、あるいは軽からしめようとして、虚偽の供述をする危険性が絶えずあることに思いを致すべきである。人生の半ばを過ぎて初めて、身柄の拘束という事態に直面した永島みやという女性が、被告人に関する部分につき、検察官の意のままに迎合的に供述調書の作成に応じることは十分あり得ることである。

また、永島の被告人との身分関係について控訴審判決が指摘することは、そっくりそのまま中村の妻みどり、中村きみの弟今井信昭、中村きみの妹前島律子及びその従業員松本など中村側関係者の供述の信用性についても当てはまることである。まして、同人らは被告人の申告により本件脱税が発覚したと考えていたもので、中村と共に被告人に悪感情を抱いたうえ、被告人にとって不利益に供述・証言する可能性は十二分に考えられるところである。

永島の検面調書の供述の信用性を右のように判断するならば、逆の意味で、右中村の関係者の供述の信用性を吟味する必要性がるのに、これら供述を何らの吟味なしに一方的に事実としている点に、重大な疑義がある。

3 総勘定元帳の記載順序と現金出納式伝票の記載順序の点(一〇丁以下)の判示部分について、以下言及する。

(一) 〈1〉の点(一〇丁表)について

判決は「永島の指摘は、あくまでも元帳及び伝票の記載順序についての単純な基本述べたに止まるのであって、条件設定の如何によっては、これと異なる結果が生じることを否定するものではない。」とし、「外注費の記載のある伝票を破棄し、新たに書き直させていた」、「所論指摘の各年月日分を含む外注費の記載のある現金出納残高式伝票が、昭和六一年六月、中村みどりにより書き改められた」ので、「後に架空外注費の金額を上積み計上しても、総勘定元帳と現金出納残高式伝票との間で記載事項の順序に違いが生じない場合もあり得る」という。

然しながら、中村みどりによる伝票破棄と新たな作成が行われたならば、弁護人指摘の部分のみならず、他の書換部分も弁護人指摘のようになっていなければならないはずである。

判決のいう理由では、弁護人がつとに指摘している昭和五九年九月分と同六〇年一月分のみが何ゆえ記載が一致しているのかの合理的説明にはなっていないといわなければならない。

(二) 〈4〉の点(一二丁表)について

判決は六一年上旬ころの「サーモテックの調査に絡んで、念入りに総勘定元帳記載事項のコンピューターへの入力のし直し、それに合わせた現金出納残高式伝票の改ざん」等が行われたので、永島の言う原則とはずれているという。

しかし、もし右改ざん行為が、指摘のとおり「念入り」に行われたとすれば、何故、弁護人指摘部分につき、架空計上の痕跡がなく、他の部分についてはそのような痕跡を残すことになったのであろうか。「念入り」に入力のし直しをしたならば、その部分については統一した形式になって入力がなされているはずであって、この判決の認定も極めて不合理である。

(三) 〈5〉の点(一二丁裏)について

判決は「同事業年度の総勘定元帳等の記載順序等は、昭和六〇年八月期及び翌六一年八月期におけるそれらについての事実認定の当否を判断するための基準とはなし得ない。」という。

然しながら、被告人側事務所において、五九年期の総勘定元帳と伝票の記載順序について、細工を施す必要性は全くなかったし、そのように第三者から依頼された事実も窺えない。

従って、右記載順序は中村側提供の資料に基づき、単純に入力したものと考えるのが合理的であって、五九年期の記載順序が本件犯行の六〇年及び六一年期のそれと類似していることは、重要な事実といえる。

また、判決は不当にも五九年八月期分についても、被告人の関与があったからのような判断を示しているが、検察官の起訴もない事実につき、裁判官が犯罪に加功していたとの疑いを表明し、それを理由に、被告人に不利な認定をするのは、刑事訴訟法上許されるべきことではなく、この点の判示は不当極まりない。

二 (中村の供述の信用性等の判示部分について)

1 七〇〇万円の引き出しの点(一八丁表)について

判決は「被告人の供述のとおりであるとすれば、被告人において、七〇〇万円引き出しの事実を知った際、その出所等について中村を追及すべきなんらの理由もないばかりか、追及を受けた中村が自発的にそれを被告人のもとに置いていったというのも不自然、不合理極まる」という。

しかし、中村が事業を受け継ぐ以前から相当長期にわたり、中村電線の税務面を預かってきた被告人が、同社の経理内容に疑問を抱き、出所不明の金銭の性質を問いただすことには十分理由があるものといえる。まして、大都市を活動の中心とする税理士の立場と違って、被告人が業務活動の本拠とする館林あたりの地方の中小都市における税理士業務は、税務申告時の単なる申告書作成というものにとどまることなく、経営コンサルタント以上に依頼会社と極めて親密な関係にあることは想像に難くなく、そのような立場にあった被告人が、出所不明と思われる金銭の素姓を問いただすことは十分にあり得ることである。

また、中村が自発的に七〇〇万円を置いていったことに関しても、先代のきみの時代からの長年にわたる顧問税理士であり、かつ、上記のような関係による被告人にからの不明金の追求に対して、中村が迎合的に対処したことは十分考えられるところであって、なんら異とする事態ではない。

3 ボストンバック存中の金員の数額(二五丁裏)について

判決はその額について、単純に「いずれとも確定しがたく」というのみである。

しかし、この点は額がいずれであったかということよりも、そのような二つの額が問題となったことに、目を向ける必要がある。

すなわち、この額については異なる額の記載のある引渡書類があることから「確定しがたく」なるのである。そして、その額の確定の点についての中村の供述の信憑性を検証する以前に、引渡書類が改ざんされていることが問題とされなければならない。

このように中村側において改ざんされたという事実があること自体、中村の被告人に対する悪感情の表れと見られるべきであって、中村の供述の基礎にはこのような被告人に対する悪感情が横たわっていることを、見逃すことはできないのである。

中村の信憑性の判断に当たっては、この点を十分に吟味して検証されるべきであるのに、判決はこの点を一顧だにしていない。

第七 結語

以上、原判決にて判示されている部分について、その極めて不合理な判断部分及びその判断に至ったであろう本件事件の特殊性、要因等に関し、敢えて重複をいとわず述べたものであるが、その他にも中村の供述や永島の供述には弁論要旨、控訴趣意書にて指摘した様々な矛盾が含まれているものである。

ところが、「初めに金ありき」との基本的心証から原判決は指摘した不合理部分につき、敢えて客観的証拠との不一致について、第一審、控訴審において検察官、弁護人も全く前提としない評価をなし、中村の供述に信用性を与えるなど、証拠採証上においても問題を残す判断をなしたうえ、重大なる事実の誤認をなすに至っているものであって、原判決は破棄されるべきものである。

以上

〈省略〉

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